「光輪の超魔神フーパ」 感想・考察


 まずはこちらを見てほしい。

 「光輪の超魔神フーパ」は、全国364スクリーンで公開され、オープニング2日間で動員35万1592人、興収3億8411万5100円を記録した。
 これは昨年29.1億円をあげた前作に対して動員比87.7%、興収比97.7%の出足で、最終興収は20億円付近とみられる。
 なお、シリーズ累計動員が7000万人を突破した。
 ※ 映画.comより引用(http://eiga.com/ranking/


 ……だそうだ。

 各サイトのレビューなどを見ると、なかなか賛否両論な意見を目にすることができ、今作は“好みが分かれる”映画であることが伺える。
 私個人としては、今作は なかなかの力作と感じており、そんな今作の最終的な興行収入が20億止まりでは悲しいものがある。

 そこで、当初は映画公開後に執筆しようと考えていた今作の感想・考察を、まだ映画公開中ではあるが、記してみたいと思う。

 もっとも、当ブログを閲覧して下さっている皆様は、当然、既に観賞済みかと思われるが(笑)、これから観賞予定の方で、真っ新な気持ちで映画を楽しみにされている方がいらっしゃいましたら、当記事のご閲覧はお控えください。
 今回は前回の記事(http://d.hatena.ne.jp/toethu_story/20150720/p1)とは違い、ストーリーの核心に触れる部分まで記します
 当然のごとく重大なネタバレを含みますので、その点をご了承いただける方のみ、下の「続きを読む」をクリックして記事を展開……なんて機能は無いので、10行ほど下へ進んでください。


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【前提条件】

 まず初めに申し上げておきたいのは、“ポケモン映画とは何か”と言うことである。
 別に哲学的なことでは無く、単純にポケモン映画とは、新ポケモンの活躍を、大迫力のスクリーンで鑑賞できる、毎年恒例のアニメ映画である。

 それは何を意味するかと言うと、想定される視聴対象の多くは子供であって、私たちのような“大きな子供”では無い。
 勿論、大きな子供にも楽しめる内容にすることは重要であるが、主とするターゲットは子供であると言うことを、忘れてはならない。

 すなわち、ヒロインとの恋愛要素、XY編で言えばサトセレ描写は、入れる必要のない内容である。
 付随して、ヒロインの水着と言うのも、これまでの映画ではよく描かれてきたものの、必ずしも描く必要性の無いものである。

 よって私の中で、ヒロイン関連のあれこれと言うのは、評価の対象には成り得ないし、この先も話題に上げることは無い。
 そう言ったヒロイン関連の記載を期待されている方がいらっしゃれば、当記事は何らご期待に沿えないと、今のうちに明言しておく。


【作品の傾向】

 今作「光輪の超魔神」は、前作「破壊の繭」とは、180度違った傾向であると言える。

 脚本が冨岡氏になったことも関係あるだろうが、前作が“広く浅く”であれば、今作は“狭く深く”。
 これはそれぞれに長所短所があり、“どちらの方が優れている”という意味では無く、単純に、両作品が相反する傾向であると言う意味合いだ。

 例えば、前作は多様なキャラが登場して賑やかだったが、今作では、登場人物が極端に少なくなっている。ゲストの敵キャラ(人間)を考えればそれは明白で、前作は4人、今作は0である。

 また、前作はサトシに加え、セレナ、シトロン、ユリーカにも見せ場があったが、今作では、見せ場はほぼサトシが独占する。
 これが賛否両論となる所以の一つだと思うのだが、ハッキリ言って、今作のセレナ、シトロン、ユリーカは、ほぼ空気だ。解決の糸口となる発言等はあるが、やはり中心となって活躍するのはサトシである。

 似た傾向の映画を挙げるなら、間違いなく「水の都の護神」だ。
 同作も、活躍はサトシが独占しているし、今作にもラティアスラティオスが登場することから、より一層、似た印象を受けてしまう。
 もっとも理由はそれだけではなく、最終的な話の落としどころと言うのも似ているからで、それは後に述べたいと思う。

 もう一点。
 前項では“ポケモン映画は子供を主なターゲット”と述べたが、実は今作、“大きな子供”にもスポットを当てていると断言できる。
 過去作の伝説ポケモンが数多く登場することもそうだが、もう一つ、ポケモン世代にとっては思わずニヤリとしてしまう要素が隠されていた。
 これは予告映像等では分かりにくかったので、実際に観賞中に気付くことになるのだが、もちろん私もニヤリとしてしまった。

 全体的に見れば、サトシが格好良い、フーパが可愛い、大迫力のバトルと納得のストーリー、そしてポケモン世代にも嬉しい要素が盛り込まれている訳で、そう言った点が、私個人の評価をここまで押し上げたと言ってもいいだろう。



【ここから今作の核心に迫ります】

 これから映画を観賞予定で、真っ新な気持ちで映画を楽しみにされている方はご注意ください。
 なお、この先の記事について、必ずしも映画内の展開・時系列とは一致していません。



フーパの立ち位置】

 映画の始まりと共に、超フーパがリングから現れた。“リングから”現れた。
 場所は100年前のデセルシティで、超フーパは いきなり、ゲンシグラードンゲンシカイオーガをお出ましさせる。

 早速2匹はバトルになるが、ここで注目すべきは、町の人々が決して恐れている訳ではないと言うことだ。グラカイのバトルを興奮の表情で眺め、歓声を上げていた。

 予告編を見て、超フーパは悪役と言うイメージが強かったが、必ずしもそうでは無く、初めのうちは、人々に受け入れられていたのだと読み取れる。
 そんな超フーパと この先バトルになるのだから、いったいどんな背景があったのか、初っ端から興味を引き立たせる演出だ。

 そして直後――恐らく大分時間が開いてのことだろうが、レシラム、ゼクロムレジギガスとバトルを繰り広げる超フーパ
 最初はグラカイ同士でバトルしていたものの、ここでは超フーパ本人がバトルしており、“なにか”があったと推測できる。その“なにか”は後に語られることになるのだが、興奮したと見受けられる超フーパは、自分の強さをアピールするためか、町まで破壊し始めてしまう。これはある意味、ポケモンならではの行動と言ったところか。

 町の人々は打って変わって、超フーパに止めてくれと懇願する。それは正しく“イレギュラーな超フーパ”を表しており、平和な日常が突然として崩れ去ってしまったことが伺える。

 そんな超フーパを止めたのは、とある旅人だった。
 彼は超フーパを戒めの壺に取り込み、ひとまずデセルシティの危機は去ったのであった。



【オープニングも一捻り】

 まず今作は、伝説ポケモンたちが多数登場することが告知されていたが、ポケモン世代にとっては懐かしいものの、小さな子供にとっては、ある意味未知との遭遇である。
 最近のゲームではほとんどの伝説ポケモンを捕まえられるが、やはりリアルで体感した世代と、ゲームでしか出会ったことのない世代では、認知度に差があるだろう。

 それを考慮してか、今作のオープニングは一味違った。
 恒例の「ポケットモンスター、縮めてポケモン……」のクダリに、今作で登場する伝説ポケモンたちの映像が流れたのだ。どんなものかと聞かれれば、今のアニポケのOPで使われている映像であり、そこにポケモン名を添えて。
 これにより、“あのポケモンは○○と言います”と暗に示すことになり、子供たちにとっての“知らないポケモンの登場”を避けることができる。それは即ち、映画に飽きさせない配慮でもあり、とても考えられたものだと感じた。

 一方で、こちらも恒例の「この少年、マサラタウンのサトシ……バトル&ゲット……」のクダリと、オープニングの歌(通例ならゲッタバンバン)は省かれていた。



【砂漠の町】

 いきなり砂漠の町から始まったサトシたち。そこどこやねんとツッコミたいところだが、映画の舞台はアニポケ本編とは無関係なので、ここではいいとしよう。
 「この少年、マサラタウンのサトシ……バトル&ゲット……」を省かれていたため、サトシたちの紹介は無し、出だしはアニメと同じであり、脚本家さんの変更による一連の取り扱いの差が、まずここで見れることとなる。

 砂漠のポケモンセンターは、土地柄かプールが併設され、オアシス的施設となっている。
 そこで はしゃぐのはサトシとユリーカ。特にユリーカはポケモンの水着(ヤドランではない)を着用しており、ここでもユリーカの衣装コレクションを見ることが出来た。浮き輪で浮かぶユリーカをサトシが押して遊ぶさまは、まるで兄妹のよう。
 シトロンはエイパムアームの修理中、セレナはドーナッツを焼いたりと、みな思い思いの時間を過ごしていた。

 その辺は日常的風景としてよくあるものなのだが、ここで注目すべきは、そこ一体のBGM。
 これがなんと、無印時代のアレンジが使われていたのである。ポケモン世代にとってはお馴染みの平和なBGM、いきなりニヤリである。完璧にポケモン世代の心を掴みに来ている。
 どんなBGMかと言うと、実はソニーのサイト(http://www.sonymusicshop.jp/m/item/itemShw.php?site=S&ima=0905&cd=MHCL000002542)から視聴でき、7番の曲である。

 正直言うと、この“掴み”は凄く考えられたものだと思う。
 と言うのも、BGMのアレンジと言うのは、小さい子供とポケモン世代の人間、両者に違和感なく楽しませる方法だと感じるからだ。
 ポケモン世代の人間を楽しませるならば、過去要素、過去作品の出来事を取り上げれば手っ取り早いが、それだと小さな子供――過去作品を見ていない子供には、訳が分からないはずだ。かと言って小さな子供のツボとなる内容――おからさまな おとぼけ描写などは、我々から見れば寒い。
 その点BGMは……、小さな子供は そもそもBGMなんぞ気にしないはずなので、違和感を覚えることは無いだろう。一方ポケモン世代にとっては、これほど懐かしめることは無い。
 アニメBW編で、メロエッタとの別れ、ロケット団退回のエンディングが“ロケット団よ永遠に”に差し替えられていて、懐かしさに浸った方も多いのではないだろうか。それと同じことを、今作では取り入れてくれたのだ。

 セレナがドーナッツを作ったのは、恐らく前フリなのだろう。
 この先のデセルシティに、有名なドーナッツ屋があるらしく、そこに行ってみようと提案した。小さなことながら、面白いスポットを見つけるナビ役としてのセレナが、映画でも描かれていた。

 セレナは別に、ポケモンたちへも、ドーナッツ風のポフレを作っていた。
 もうそれポフレと呼ばなくていい気がするが、ポフレはポフレなのだろう。ポフレ生地をドーナッツ状にしたのだろうか。

 すると突然、しれっと小さなリングが登場、そこからコッソリと手が出て来て、ポケモン用のポフレドーナッツを奪った。
 まぁそれがフーパなのだが、フーパは代わりに、マトマの実を置き土産。よそ見しながらポフレを頬張るハリマロンは、当然その変化に気付くことなく、ポフレと思い込んでマトマの実をガブリ。……それが、予告映像の“かえんほうしゃ”である。

 今度は本物のドーナッツにもフーパの手が伸びる。
 それを見つけたピカチュウは、フーパの手を掴む。サトシもピカチュウを掴んで、ドーナッツを盗む犯人を逃がしまいとするが、フーパの手をリングから一定の距離まで引き出すと、勢いよく手がリングの中へと戻り、ピカチュウ、サトシもろとも、リングの中に吸い込まれてしまった。
 ここの描写については、少し後で理由が語られることとなる。



フーパの登場】

 セレナのドーナッツを取り出したフーパだが……、ピカチュウとサトシもくっ付いてきた。
 それは当然、フーパにとって想定外だったようで、一瞬驚いた表情を見せるも、焦るサトシたちを見て、驚かしにかかる。

  フーパ 「ビックリしたぁ!?」

 ピカチュウをピーカ、サトシをサートンと呼ぶフーパは、元気よく動き回る。これだけでもフーパの可愛さが伝わってくる。
 加えて、ピカチュウのことを好きだと言うサトシを驚かせようと、ピカチュウを大量に呼び寄せたり(お着替えピカチュウも出演)、水を“一杯”欲しいと言うシトロンの言葉を“いっぱい(大量)”と勘違いして大量の水をぶっかけたりと、短時間のうちに、フーパの可愛さが存分に描かれていた。

 そんなフーパを世話している少女、メアリと出会ったサトシたち。
 彼女と一緒にデセルタワーへ行くことになったのだが、フーパのリングを通って行こうとしたところ、フーパ自身はリングを通れず、弾かれてしまう。
 最初の超フーパはリングを通れたにも関わらず、今はリングを通れない――それは、戒めの壺が関係しているのだろう。
 と同時に、ドーナッツを奪われたサトシたちがリングに吸い込まれてしまった理由も判明した。フーパと力負けしたのではなく、フーパを引き寄せることが出来なかったからだ。



【超フーパの登場】

 そんなことをしていると、メアリの兄、バルサが登場。
 実は彼、とある場所で封印されていた戒めの壺を発見し、その壺を持ち帰って来たのだ。しかし実際、彼は壺の力に乗っ取られており、意識に反して、戒めの壺を開けてしまう。
 すると、壺の中身がフーパを取り込み、フーパの姿が超フーパへと変化したのだ。メアリ曰く、これが本来のフーパの姿らしい。
 こう……街で超フーパに戻られると、いかにも危なそうな印象を受けるが、メアリが喜んでいる所を見ると、さほど問題ではないのかもしれない。

 ……が、突然超フーパが暴れだした。デセルシティの有名なドーナッツ屋崩壊。

 超フーパは、バルサが持っている戒めの壺を奪おうと暴れ続ける。
 サトシたちも応戦するが、超フーパはリングから、デセルシティの建物の一部、ウインドタワーを引き千切り、それを投げつける。昼間に街でポケモンが大暴れすると言うのは、地味に久しぶりではなかろうか。ビクティニ映画を見ていない私の記憶としては、裂空の訪問者のラルース以来な気がする。

 そんな超フーパを、メアリが再び戒めの壺に閉じ込めることに成功した。
 超フーパから引き離されたフーパは、酷く体力を消耗している様子だ。そして、「こわい、消えそう」と、弱々しく言う。
 メアリは超フーパを本来の姿だと言うが、このフーパの様子を見ると、完全に乗り移られている感じだ。いったい何があったと言うのだろうか。詳しくは、ポケモンセンターへと向かう船の中で語られる。



【昔のこと】

 100年前、特に何の前触れも無く、デセルシティに超フーパが現れた。本当に偶然だったらしい。
 そこで店の売り物を勝手に食べた超フーパは、お詫びと言って、金銀財宝をリングから取り寄せた。どこかの銀行破綻確定。その金でデセルシティは大きく発展したと言う。これは、貿易関係で発展してきたモデルのドバイと、どこか似たような設定にも思える。
 その頃の超フーパは、冒頭でも描かれていたように、怖くも無ければ狂暴でもない、大きさを除いては、いたって普通のポケモンだった。金を出してくれたこともあり、デセルシティの人々は超フーパの住処(神殿?)を造り、食べ物を提供し、超フーパもそれを受け入れ、時たま金を出しながら、デセルシティで生活していた。

 あくる日、超フーパは住人から、「お前デカいけどバトルは強いのか?」と持ちかけられ、ポケモンバトルをすることに。
 住人のポケモンと思われるカイリューハガネールなど、通常ポケモンの中では強そうな相手を圧倒する超フーパのパワーは、人々を大いに沸かした。100年前とあって、それが大衆娯楽のような意味合いを持ち始めたのだろう。

 しかし、それがだんだんエスカレートしていく。
 とうとう超フーパは、レシラム、ゼクロムレジギガスを召喚し、自分の力を見せつけるため、3匹とバトルする。冒頭で描かれたシーンだ。
 ここでも超フーパは3匹を圧倒するが、興奮したのか、自分の力を見せつけるため、町をも破壊し始めたのだ。

 そして旅人によって、戒めの壺に封印されてしまった――。

 よくよく考えてみると、ここ一体の出来事は、必ずしも超フーパが悪いとは言い切れない。
 もともと「ビックリした〜?」と人を驚かすのが好きなフーパは、きっと、バトルを見て歓声を上げる人々を、もっと楽しませたい、驚かせたいと言う気持ちが働いたのだろう。
 にも関わらず、戒めの壺に封印されてしまった超フーパ。そしてその期間は100年を超す。後に明らかにされるが、封印された超フーパに怒りの感情が芽生えるのも当然の話だ。

 さて、戒めの壺に超フーパが封印されたことで、フーパ本体は今の……可愛いタイプになったようだ。
 フーパは旅人――実はバルサとメアリの曾祖父に当たるのだが、彼と共に、アルケーの谷と言う場所で、戒めの意味を知る生活が始まった。
 当然嫌がるフーパは、リングを通って逃げようとするが、弾かれてしまう。どうやらこの時から通り抜けが出来なくなったようで、通れるようになるには、曾祖父曰く「戒めの意味を理解する必要がある」そうだ。戒めの意味――それを導き出すことが、フーパに与えられた“罰”とでも言うべきものなのだろう。

 谷での生活はフーパにとって退屈なものだったらしいが、そこに生まれたバルサとメアリ。
 2人とフーパはすぐに仲良くなる。一緒にドーナッツを食べたり、悪戯したりと、谷での生活を楽しんでいたが、ある時、事件が起こる。
 外の世界を見たい一心で谷を抜け出したメアリとフーパが迷子になってしまったのだ。バルサが2人を探し出したものの、フーパは体調を崩して弱り果てていた。
 そこでバルサとメアリは、力を合わせて薬を調合し、翌朝、フーパは無事に回復したのであった。
 谷に戻ると、曾祖父が3人を出迎えた。そしてフーパに言った――「ありがとう」と。その理由は、「お前も家族だから」。

 戒めを知る生活を送っていたフーパは、もはや曾祖父やバルサ、メアリにとって、家族同然の存在となっていたのだ。
 そのことを、フーパはよく分からないと言った様子で首をかしげる。家族と言う概念を知らないのかもしれないが、フーパは曾祖父――超フーパを封印した当事者にとっても、大切な存在となっていたのだ。



【 影 】

 そんなフーパの過去を語ったバルサとメアリの胸元には、金色のリングが。
 これは正しく、アルセウスが背中に付けているアレでり、曾祖父はじめバルサとメアリは、アルセウスの力を持つ一族らしい。フーパを手懐けたのも、その力のお陰だった。

 2人は、そろそろフーパの戒めを解き、元の姿に戻してあげたいと考えていたようで、バルサが壺を探しに旅だったのも、そのためだった。
 しかし実際は……先ほどの通り。封印されていた超フーパは、フーパを乗っ取り、消そうとしており、当のフーパも「なら戻らない!」と言いだす始末。
 確かに、このままで害が無いのなら、フーパは元に戻らなくても問題は無い。しかし、封印された超フーパはどうなるのか。そして、なぜ超フーパフーパを消そうとしているのかを調べる必要もある。バルサとメアリは、超フーパのことも きちんと考えていたようだ。

 しかしそんな中、ロケット団が戒めの壺を奪い取る。どうやら壺から出てきた超フーパを見て、ポケモン強大化装置と勘違いしているらしい。
 バルサとメアリが警告するも、ニャースが壺に触れ……壺に乗り移られてしまった。と言っても、壺を開けて超フーパを外に出したところで正気に戻るのだが。
 これによって、フーパは再び超フーパに取り込まれてしまう……と思いきや、フーパは抵抗した。超フーパに負けじと、消されまいと、バルサとメアリも協力して。サトシたちも応援しながら。

 そしてフーパは打ち勝った。超フーパの侵入を許さず、体力を消耗しながらも、「フーパ、勝ったよ」と嬉しそうに言った。
 ……が、なら超フーパはどうなるのか。一連の騒動、力の衝突で、戒めの壺は木端微塵に。行き場を無くした超フーパは、“影”となって具現化したのである。その姿は超フーパそのものだが、邪念が渦巻き、目は赤く光り――。

 バルサが言うには、これは超フーパの怒りの感情が影となって具現化したもの。100年もの間、戒めの壺に封印され、蓄積されてきた怒りが形になったのだ。
 過去話を聞いても、それはもっともなことだと感じた。デセルシティの人々を喜ばせようとバトルを始めたと言うのに、突然封印されてしまっては、そりゃ怒るのも当たり前だ。

 具現化した影は、フーパを乗っ取ろうと攻撃に出る。街中なので、当然街も破壊する。
 考えてみると、ロケット団単体が原因で危機が発生すると言うのは、久々ではないだろうか。彼らが物語の“引きがね役”を買って出ることで、敵キャラの数を減らせ、それは登場人物の削減にも繋がり、分かりやすいストーリーになると、私は感じる。ここが前作との違いだ。



【再生に向けて】

 戒めの壺が粉砕してしまい、残ったのは、アクセントらしき部分のみ。
 バルサの見たところ、そのアクセントには まだ戒めの壺としての力は残っているようで、壺さえ再生できれば、影を再び封じ込めることが出来る。
 もともと戒めの壺はデセルタワー(があった場所)で作られており、そこなら壺を再生できると踏んだバルサ。しかし壺の材料が必要となる。戒めの壺は、炎、水、土、それぞれのポケモンの力で作られており、その面子が居なければ、壺は再生できない。
 けれどここにはサトシたちが居る。水はサトシのゲコガシラ、炎はセレナのテールナー、土はホルビーの“マッドショット”で……と思いきや、砂漠でユリーカが見つけたヒポポタスをお出ましさせ、力を借りることに。

 ただ、影は壺を、フーパを狙っている。デセルタワーまでは少し距離があり、その間に影に捕まってしまっては元も子もない。
 苦渋の決断として、バルサたちはフーパのリングでデセルタワーに直行し、リングを通れないフーパ自身は、壺が再生するまで隠れていることになった。
 けれど、影はリングを使って街中を探し回るので、長時間隠れ続けるのは、実質不可能だった。

 そこでサトシが立ち上がる。「オレもフーパについている」と。

 サトシはゲコガシラをシトロンに授け、フーパと共に、デセルシティの闇に消えて行った。
 こうすることで、セレナ=テールナー、シトロン=ゲコガシラ、ユリーカ=ヒポポタス、という構図が出来上がり、セレナたちも、フーパのための力になると言う役割が生まれる。
 そしてこの先は、フーパを守るサトシにスポットが当たることになる。



【主人公の活躍】

 フーパは影から逃れるため、リングからルギアをお出まししていた。
 その際、再びポケモン世代の人間をニヤリとさせる演出が成された訳だ。……そう、ルギア爆誕のBGMが使われたのだ。
 1999年公開のルギア爆誕、果たして当ブログを閲覧して下さっている方々の中で、現役で同作を鑑賞した方がどれくらいいらっしゃるかは分からないが、世代の方ならピンとくる、ルギア登場のあのBGMのアレンジだ。
 ルギアが“エアロブラスト”らしき何かで影を攻撃し、サトシたちを援護する。そこ一体のBGMもまた、ルギア爆誕のアレンジBGMであり、しかも2種類使われると言う大サービス。ルギア登場BGMと、脱出のBGMだ。
 こちらもソニーのサイト(http://www.sonymusicshop.jp/m/item/itemShw.php?site=S&ima=0905&cd=MHCL000002542)から視聴出来る(23、28、29番)のだが、曲名が“命をかけてかかってこい”と言うのは自虐ネタなのだろうか。それとも、原曲もそういうタイトルだったのだろうか。

 ルギアの援護の中、ひとまず地下倉庫に身を隠すサトシとフーパだが、サトシはフーパと影の関係に疑問を感じていたようだ。
 「自分同士で喧嘩するのは良くない」、それがサトシの想いであって、フーパに仲直りするよう促した。

  フーパ 「影と仲直り、出来るかな?」
  サトシ  「するんだよ! きっと出来るさ!」

 それでこそサトシだ。もともと影はフーパの一部であって、本来は敵として戦う相手では無い。戒めの壺を再生して影を壺に閉じ込めたとしても、それでは何の解決にもならない。
 サトシが言ったように、影の怒りを鎮め、影と仲直りすることこそ、フーパにとって最善のことなのだろう。当のサトシは そこまで深く考えてはいなかっただろうが、自然とそう言った考えが生まれるのがサトシの良い所であって、純粋さの表れであると感じた。

 フーパは、影と仲直りした暁にはサトシの望みを叶えると言いだした。
 サトシの望み――夢と言えば、皆さんご存知、ポケモンマスターになること。映画内でサトシの口からその言葉を聞けるとは意外だったし、こういった面からも、今作がポケモン世代を意識した作りになっていることが伺える。

 ポケモンマスターは“自分でなるもの”=お出ましできないと知ったフーパの反応が可愛かったが、とうとう影が、この地下倉庫を発見してしまう。

 逃げるサトシとフーパだが、影はリングを使って追い詰める。神出鬼没なだけあって、逃げる側からしたら相当な恐怖だろうと感じる。
 ルギアが全力でサトシたちを援護するが、いい加減鬱陶しいと思ったのか、影はルギアの隙を突いてリングを取り出し、ルギアを元の深海に追い返してしまった。その際のルギアの鳴き声(海の声?)もまた、ルギア爆誕がイメージされていた。

 ルギアを失い、サトシたちも黙ってはいられない。
 サトシはフーパに「飛びっきり早いポケモンを出してくれ」と頼むと、リングから登場したのは、ラティアスラティオス、そして黒いレックウザだ。
 レックウザが黒いのは、裂空の訪問者で大暴れしたレックウザと差別化を図るためと思われるが、ラティアスラティオスに至っては、水の都の護神と声が一緒! ラティアスの可愛さ再び!

 サトシとフーパラティオスに、ピカチュウラティアスに乗り、影をデセルタワーに近付けまいと、スピードで翻弄する。
 しかし影も黙ってはいない。リングから、パルキアディアルガギラティナゲンシグラードンゲンシカイオーガキュレムをお出ましさせたのだ。数の暴力。

 今ここに、伝説VS伝説のバトルが始まった。


 しかしながら、伝説のチョイスがまた絶妙である。
 サトシたちの味方に付いたのは、レックウザは色違いなので別と考えて、ラティ兄妹とルギア。過去の映画で、直接サトシと対峙していない面子なのだ。
 加えて、サトシはいまラティオスに乗っており、少し前にはルギアにも乗った。サトシは過去の映画でもルギアとラティオスに乗っており、そのシーンを上手くアレンジしていると受け取れる。ピカチュウラティアスに乗ったのも、ラティアスではサトシを持ち上げられなかったと言う過去要素を思い起こさせるのに、十分な演出だ。
 一方、敵の面子は、グラカイはゲンシカイキ姿なので別として、パルキアディアルガギラティナキュレムと、サトシたちに少なからず危害を加えている面子である。

 さて、ルギアのシーンにルギア爆誕BGMが使われたと言うことは、この先、水の都の護神、もしくは裂空の訪問者のBGMが使われるはずである。
 これは実際に映画を観賞中に私が思ったことで、ラティ兄妹の登場は分かっていたことなので、ルギア爆誕BGMを聞いた時、次はどのようなアレンジBGMが来るか、非常にワクワクしていた。

 そして流れだBGMは……水の都の護神だった!
 津波に向かうラティアスラティオスのシーンで使われた“出撃”。同作品で一番の盛り上がりと言っても過言では無いBGMがチョイスされ、原曲のイメージを大きく残したアレンジで奏でられる。これは個人的に嬉しすぎて変な声が出てしまい、慌てて咳込んだ。
 しかもこのBGM、ケルディオ映画のBGMも組み込まれていた。“覚悟の姿”の部分だが、こちらは曲調が大分変っていたので、聞いたことあると思っても、なかなか思いだせなかった。
 このBGMもソニーのサイト(http://www.sonymusicshop.jp/m/item/itemShw.php?site=S&ima=0905&cd=MHCL000002542)から視聴出来る(31、32番)。

 とにかくこのアレンジBGMのお陰で、一気にテンションが上がる。加えてこの先、大迫力のバトルが繰り広げられる。
 CGの街中を、ほぼサトシ視点で飛び回り、攻撃を避け続けると言うスピード感溢れるシーン。この組み合わせは、ポケモン世代の心をガッシリと掴むものだろう。少なくとも私は、ここ一帯のシーンで虜になってしまった。

 BGMに注目せざるを得ないシーンだが、サトシの活躍も見逃せない。
 ラティオスに乗るサトシは、ラティ兄弟、レックウザを的確に操り、ワザの指示も。迫りくる攻撃には“りゅうのはどう”、影の竜巻っぽい何かによる砂塵には“サイコキネシス”を指示し、その場を乗り越えていく。伝説のポケモンを自分のポケモンのごとく操るサトシのスキルは相当なものだ。

 それより……どうしても目が行ってしまうのは、“ラティ兄妹がバトルしている”点である。
 水の都の護神では、実はラティ兄妹、バトルと言うバトルはしていない。あくまで自発的な自衛行動に留まり、戦ってはいなかったのだ。
 それを考えると、ラティ兄妹の真価の発揮が、13年ぶりに実現したともいえる。特にあれほど御転婆なラティアスが、敵に負けじとも劣らない“りゅうのはどう”を放つシーンなど、同作を現役で見ていた私にとっては、涙腺に来るものがあった。


 しかしやはり、数の差と言うのは大きい。相手7体、サトシたちはピカチュウを入れても4体。

 “りゅうのはどう”と“10万ボルト”で対抗するが、敵からの一斉射撃を撃たれてしまう。一気に不利な状況に立たされた……と思いきや、ラティアスラティオスレックウザメガシンカを遂げたのだ。
 皆が無傷なのを見るに、メガシンカで発したエネルギーで、敵からの攻撃を防いだとみるべきか。メガラティアスメガラティオスメガレックウザとなり、さらに機敏に街を駆け抜ける。
 どうやってメガシンカしたのかは謎だったが、この場面でのメガシンカは、展開的にも熱くなる。メガシンカの過程を説明しようとするならば、フーパがキーストーンとメガストーンをお出ましさせたのだろう。伝説ポケモンを使いこなすサトシともなれば、少なくとも絆の問題はクリアできるはずだ。

 戒めの壺が再生するまでの時間稼ぎ、サトシたちは敵から逃げ回る。メガシンカしてスピードが上がったラティアス達。メガラティアスの声がとんでもなく可愛い。あの姿であの声は反則だ。あの御転婆なラティアスが大きく成長したように見えて本当に涙が出てくる。
 敵側も、数の多さから、味方に攻撃してしまうシーンがチラホラ。メガレックウザは攻撃にまわってサトシたちを援護し、地味にソーナンスギラティナの攻撃を跳ね返したりと、ここ一帯の見どころは大きい。
 ビル群を盛大に破壊しているが、被害総額的にみると、恐らく今作が過去最大では無いだろうか。ゲノセクト映画もそうだったが、街での大規模バトルシーンを夜に行うのは、人的被害を考えれば仕方のない事だろう。

 だがここで、影がデセルタワーで壺を再生していることに気付く。ここでタワーに危害が及んでしまっては、バルサたちの努力、ひいてはフーパにも影響が出てしまう。
 持ち前のスピードを活かし、サトシたちはデセルタワーの守りに入った。
 で、ここが恐らく、今作の大きな見せ場になるのだろうが、サトシの実力が大いに発揮されることになる。

  サトシ 「竜巻だ! 竜巻を起こすんだ!」

 サトシはレックウザに、竜巻を起こすように指示。それはデセルタワーを中心として発生し、タワーを空気の渦が包み込む。

  サトシ 「サイコキネシス!」

 そしてそれに、ラティ兄妹の“サイコキネシス”が加わった。
 大迫力のCGによる竜巻に、青白く光る“サイコキネシス”が追加され、それは空気のエスパーの防御壁。伝説ポケモンが作り出した、強固なバリアが張られたのだ。
 これを咄嗟に思い付くサトシは凄いとしか言えないし、ワザを指示して叫ぶサトシの格好良さは、劇場作品の中でも屈指のものだった。

 防御壁は敵側の攻撃の貫通を許さず、これで安泰かと思われた。
 しかし、影も負けてはいられない。リングを防御壁の至近距離及び、敵側ポケモンの目の前に発生させる。そして、グラカイディアパルギラティナ&影は、リングに向かって一斉に攻撃を繰り出した。
 それはリングを通じて防御壁に直行し、防御壁への攻撃面を一点に絞ったことで、強大なエネルギーが防御壁のほんの一点に集中。これは影の戦略勝ちとでも言うべきか、この攻撃で、防御壁は破られてしまった。

 竜巻を発生させ続けていたレックウザにも被害は及び、デセルタワーの広場に墜落。ラティオスも攻撃を受けて広場に撃ち落とされ、サトシとフーパも広場に落下。ラティアスは辛うじて回避したものの、サトシたちを援護することは出来なかった。
 ……考えてみると、ラティアスは全く攻撃を受けていない。個人的には歓迎すべき点なのだが、これスタッフの中にラティアス好きが紛れ込んでいるのではないだろうか?



【影と本物】

 広場に落下したサトシとフーパを、影は見逃さない。
 即座に2人に迫り、その強大な拳で、サトシとフーパを手の内におさめようとした……まさにその時。サトシとフーパも捕まることを覚悟したその時、影の動きが止まったのだ。

 朝日が顔を出す。

 そこには、再生した戒めの壺を持ったバルサが、堂々と立っていた。サトシたちは、壺の再生まで時間を稼ぎ切ったのだ。
 バルサが壺の蓋を開けると、影は吸い込まれていく。100年もの封印で怒りが具現化した影が、瞬く間に壺に吸い込まれて行く。
 しかし、壺に吸い込まれたと同時に、影は暴れだす。壺が震え、大きく弾み、バルサの手から逃げ出した。このまま落下すれば壺は割れ、今までの苦労が水の泡になってしまう。

 咄嗟にサトシは、壺をキャッチした。
 壺に触れると影に取り憑かれてしまうことを知りながら、それでもサトシは、ギリギリで壺をキャッチした。


  サトシ 「消……えろ……消えろ……!」

 やはり影に取り憑かれてしまったサトシ。ポケランティス以来か。
 そんなサトシを助けたのは、他でもない、フーパだった。
 影と仲直りするように言ってくれたサトシのために。影と言う、同じ自分と和解するために。フーパは影に語り掛ける。フーパが今まで見てきたもの、感じてきたもの、全てを影に伝える。アルケーの谷の美しい風景、バルサとメアリとの思い出、曾祖父に家族と認められた記憶――。
 フーパの全てが、サトシを通じて、影の中に伝わっていく……。

 朝日が昇る。

 壺を抱えたサトシの横顔が、穏やかな表情になった。

  サトシ 「……聞こえたぜ、お前の声。きっと影にも通じてたぜ」

 ここのサトシがまたイケメンだったのはさておき、フーパの想いが通じ、影はサトシを解放したのだ。
 案外あっけなかった――と思われるかもしれないが、私は逆に、これがフーパの力、本当の性格なのだと感じた。もともと超フーパは人を驚かせるのが好きで、100年前も、決して自分から悪事を働いていた訳では無い。
 要するに、超フーパは本当はとても素直な性格で、だからこそ、フーパの語り掛けに、心を開いたのだと思う。でなければ逆に、これだけのことで怒りが静まるとは思えないからだ。

 バルサも、影の怒りは消えたと判断した。
 デセルタワーに避難していた人々も外に出始め、何故かそこに混ざっていたロケット団が、いつもの決め台詞に入る。
 大迫力の伝説同士のバトルは、フーパのその素直な性格によって、王道たる展開で幕を閉じたのであった。



フーパの力】
 
 ……と思いきや、突如デセルタワー取り囲む、紫色に渦巻く何か。
 盛大なロケット団キャンセルを喰らったことはさておき、バルサが言うには、伝説のポケモンを呼びだし過ぎたせいで、空間に歪みが発生したとのことだ。
 これはまさしく、ディアルガVSパルキアVSダークライでアラモスタウンが消失の危機を迎えたアレと同じである。それは即ち、デセルタワーを中心とするサトシたちの居る場所が、消失の危機に瀕していると言うことだ。

 空間の歪みの外に(まだ)居た伝説のポケモンたちは、それを止めようと渦に攻撃を繰り出すが、消失は収まらない。それよりパルキアお前が何とかしろよと言いたいところだが、どうもダメらしい。
 ここで問題なのは、ここには避難してきた一般人たちが居るのだ。これもディアルガVSパルキアと同じ展開だが、今回はダークライは出演しないので、同じ解決策は取れない。ならどうすれば……。

 そこで立ち上がったのは、フーパだった。戒めの壺を指し、これ使う! と言って。
 ここからがフーパの本領発揮と言った所か。怒りが消えた今、超フーパに――本来の姿に戻ることに、なんのリスクも無い。超フーパのパワーを持ってすれば、空間の歪みを止められる――。そう確信したのか、フーパは本来の姿、超フーパへと変化した。

  超フーパ 「ホントのフーパ、おでましー!」

 超フーパは6つのリングを取り出すと、それらを広場に並べた。そしてリングの先は……デセルタワーから離れた安全な場所へ。
 何をするのか。……そう、超フーパは空間の歪みを止めようとしたのではなく、リングを使って、一般人を安全な場所へ避難させようと考えたのだ。
 これには一本取られた。てっきり超フーパの隠された力を使うのかと思いきや、かなり現実的な手段を取ったのだから。これぞ超フーパの有効活用といった所か。
 しかし、その現実的な手段がまたリアルでもある。伝説のポケモンだからと言って、都合の良い力を使った都合の良い展開とするのではなく、こうして、元からある力を最大限に有効活用すると言うのは、なかなか好感が持てる展開だ。これも冨岡脚本の特徴なのだろう。

 人々の避難は順調に進み、残るはサトシたちのみ。
 しかしここで、最後の問題が待ち構えていた。

 フーパはリングを通れない。
 それは即ち、フーパは空間の歪みから脱出できず、消失してしまう運命にあると言うことだ。

 フーパがリングを通るには、戒めの意味を理解しなければならない。怒りが消えたとは言っても、イコール戒めを理解したと言うことではない。どうすればいいのか。
 そこでサトシの発した言葉がまた痺れる。

  サトシ 「そんなのやってみなくちゃ分からないだろ! オレの望みは、お前と一緒にここを出ることだ!」

 これだから主人公サトシは格好良い。
 まさか地下倉庫でフーパに聞かれた望みを、このような形で返すとは。こんなにも格好良いサトシ、映画では本当に久々な気がする。

  超フーパ 「サートン……」

 その姿でサートンと呼ぶことに違和感が無いとは言えないが、とにかく実行あるのみだ。
 超フーパは戒めの姿、小さいフーパに戻り、リングを通り抜ける体勢に入る。
 まずはセレナ、シトロン、ユリーカがリングを通り抜ける。そしてサトシがフーパを抱きかかえ、リングに飛び込んだ!

 しかし、やはり弾き返されてしまう。
 バルサとメアリは言う。フーパがリングを通り抜けるのは、自分たちの望みでもあると。みながフーパを想い、みなが一体となり、リングの通過を望んでいる。

 二度、三度とリングに飛び込むも、フーパは弾き返される。そうこうしているうちに、どんどん空間が消失していく。
 もはや残された空間は僅か。バルサとメアリは力を使い、なんとかフーパを通そうとするが、やはり戒めの意味を理解しなければ、リングは通れない。
 サトシとメアリはリングの向こうに追いやられ、歪の中に残されたのはバルサフーパ。残された空間は、もはや2人のスペースしかない。

 その時、空から金色の光が降り注ぐがれ、空間の消失が止まったのだ。
 何故このようなことが起きたのか、映画を鑑賞していた当時は全く分からなかったし、ご都合展開とさえ思えた。
 しかし、このチャンスを逃してはならない。バルサとメアリは力をフルに使い、フーパも必死にリングを通り抜けようとする。

 そんなフーパの脳裏には、アルケーの谷での生活が浮かび上がっていた。
 美しい稲穂。幼少バルサとメアリとの思い出。曾祖父に言われた“家族”という言葉。

  フーパ 「フーパ、みんなと一緒に居たいっ!」

 そう叫んだ瞬間。
 フーパの体が、リングを通り抜けたのだ。戒めが解けた……いったい何がそうさせたのか……。
 しかし考えている暇はない。すぐさまフーパはリングに手を突っ込み、バルサを引っ張り出す。それと同時に、デセルタワーを中心とする空間は、完全に消え失せた。



【希望の光】

 フーパが「みんなと一緒に居たい」と叫んだことで、リングを通過することが出来た。即ち、その想いこそ、戒めを理解したことに繋がったと言える。

 それはどういうことなのか。
 私個人が導き出した答えは、“共存”である。

 曾祖父はフーパに言っていた。「自分だけが世界の全てでは無い」と。
 フーパは100年前、自分の力を示すため、伝説ポケモンを召喚し、バトルした。それで興奮が増すとともに、町を破壊してしまった。勿論それは町人たちを驚かせようと思ってやった、言わば超フーパのレクリエーション。
 しかしその背景には、フーパが「自分は強い」と言う自己顕示欲があったとも捉えられる。逆にそんな欲があったからこそ、超フーパはあそこまで興奮してしまったのかもしれない。
 
 もしそれに関連するのであれば、戒めの意味として該当することはただ一つ……、自分以外の人々と共存することだ。
 曾祖父がフーパを“家族”と言ったのも、フーパに、世界は皆のものだと教える意味合いがあったのかもしれない。その当時、フーパはそれを理解できなかったようだが、バルサやメアリと生活を共にし、サトシと出会い、影とも和解し、より広い世界が見えたのではないだろうか。皆と一緒に居ることの喜びを、フーパは感じ取っていたのだろう。

 それこそ、フーパが戒めの意味を理解した証拠である。
 たくさんの人と共存することを自ら望んだことで、図らずも、フーパは戒めを乗り越えたのだ。

 絆――それはXY編のテーマでもあるが、皆と一緒に居たいという気持ちは、まさしく絆に他ならない。
 フーパが知らず知らずのうちに求めていた、バルサやメアリを始めとする人々との絆。フーパはサトシたちとの出会いを通じ、大きく成長していたのであった。


 さて、ここで一つ疑問が残る。
 なぜ先ほど、空間の消失が一時的に止まったのだろうか。

 それは、アルセウスの助けだった。
 雲の切れ目から姿を現したアルセウス――バルサたちはアルセウスの力を持つ一族であり、そんな彼らを、アルセウスは放っておけなかったのだろう。
 声を上げることなく、登場時間も、ラストのほんの数秒。それでも この存在感は、世界を生み出したとされるアルセウスならではだろうし、見せ方も非常に考えられている。
 決してゲスト出演ではなく、大きな大きな意味を持った登場であり、この登場、退場の仕方には、さすが冨岡脚本、と感じずには居られなかった。

 そして何より、ここでも嬉しいことをやってくれた。
 アルセウスの登場BGMが、“超克の時空へ”にも登場したBGMだったのだ。同作は6年前の公開であるほか、BW編のアニポケ内でも使われた曲なので、ポケモン世代でなくとも気付いた方は多いはずである。
 どんなBGMかと言えば、ソニーのサイト(http://www.sonymusicshop.jp/m/item/itemShw.php?site=S&ima=0905&cd=MHCL000002542)から視聴出来る42番の曲である。この曲も大きな変調なく、過去のBGMを意識したものになっており、懐かしさが止まらない。
 本当に今作は、長らくポケモンを愛する世代に嬉しい配慮が成された、レベルの高いものであった。


 事件の解決を見届けて、お出ましした伝説ポケモンたちは、それぞれの住処へと帰って行った。
 ここはリングじゃないのかと言いたくなるが、こうしてそれぞれが散らばって去っていく光景を見ると、サトシたちのような当事者でなくとも、伝説ポケモンの凄みと言うか、これほどの伝説を目の当たりにしたという現実に圧倒されてしまう。
 ロケット団たちも、「さよなら〜伝説さんたち〜」と、静かに見守っていた。ここでゲットしようと動かなかったのは偉い。

  ムサシ  「なんだか……」
  コジロウ 「とっても……」
  ソーナンス 「そぉぉぉぉぉなんすっ!」

 ……ロケット団キャンセル2回目。恒例の〆を躊躇いなく崩すのも、冨岡脚本ならではと言った所だろう。


 一方バルサとメアリは、戒めが解けたことから、フーパアルケーの谷に連れて帰ることにしたようだ。
 しかし、フーパはそれを拒否。理由は、消失したデセルタワーを直すため、だそうだ。伝説VS伝説の代償として失われてしまった街の名所を、フーパなりに責任を持って、再生させようと言うのだろう。

  サトシ  「頑張れよフーパ
  フーパ 「サトシも……めざせポンスター!」

 ポンスター……みな?だが、サトシだけは、それが何だか分かっていたようだ。

  サトシ 「目指せポケモンマスター、だろっ!」

 最後の最後にサトシにそれを言わせたことは、ポケモン世代にとって、嬉しい限りである。
 ここで“めざせポケモンマスター”が流れたら感涙ものだが、流石にそれは我儘な願いだ。



【デセルタワーの再建】

 エンディングでは、デセルタワーの再建風景が描かれていた。
 フーパの力をもってデセルタワーを再生させる、エンディングでフーパの隠された力の発揮……かと思いきや、フーパが何をしていたかと言うと、超フーパになって石材を運んだり、リングを通じてタワーの基礎部分を移動させたりと、凄く現実的な方法で再建に協力していたのだ。これぞ超フーパの有効活用といった所か。

 デセルタワーからの脱出と時もそうであったが、現実的な手段がまたリアルである。伝説のポケモンだからと言って、都合の良い力を使った都合の良い展開とするのではなく、こうして元からある力を最大限に有効活用すると言うのは、やはり好感が持てる。
 この一面があったからこそ、私個人として、この映画の評価が最高レベルだったと言っても過言では無い。



* ――― * ――― * ――― * ――― * ――― * ――― * ――― *



 光輪の超魔神フーパ

 伝説ポケモンたちとの迫力のバトルに加え、フーパの可愛い仕草、現実的な面を重視した脚本、そして何より、ポケモン世代に嬉しい小ネタの数々。
 全ての人に楽しめる映画と言うのは難しいかもしれないが、今作は、最大限それを配慮した作品だと言えるだろう。

 勿論、セレナ、シトロン、ユリーカが目立たなかったと言う意見もあるだろうが、それは個人の感覚によるものである。
 むしろ私は、そのお陰で、狭く深くフーパと織り成すストーリーが描かれていたと思ったし、何よりサトシの格好良さが引き立ち、爽快感に似たものを感じている。


 もっともそれは、私の思い出補正によるものが強いかもしれない。
 冒頭でも書いたが、今作は、“水の都の護神”に雰囲気がとても似ていたのだ。

 ラティ兄妹の登場がまず大きいが、それ以外に、劇中のほとんどでサトシにスポットが当たっている点だ。
 水の都も、サトシがラティアスと共にラティオスを助けに行くと言う展開で、今回フーパと共に街中を駆け巡った展開と似たイメージだ。

 そしてもう一つ、“お決まり展開で無い”ことも挙げられる。
 今作で言う“お決まり展開で無い”点と言うのは、都合の良いフーパの力を描かずに、元からあるフーパの力を最大限に有効活用すると言う点である。
 一方水の都では、ラティオスは命を落としている。ここはハッピーエンドとしてラティオスが復活しても良いのもだが、そんな“お決まり展開”にせず、命を賭けてアルトマーレを守ったラティオスに、当時は衝撃を受けたものだ。

 もう一点、これはこじつけだが、両作とも、エンディングで再建しているのだ。
 今作は言わずもかなデセルタワーだが、水の都では、暴走した古代マシンの改修が行われている。これもある意味現実的なワンシーンで、もしかすると、今作のエンディングは、水の都のエンディングを意識したのかもしれない。


 長くなってしまったが、これほどまでに私の心を動かしたポケモン映画と言うのは、“水の都の護神”以来である。なにせ2回観賞したほどだ。
 だからこそ、皆様にこの映画を広く知っていただきたく、こうして記事にした次第だ。

 と言っても、当ブログを訪問して下さっている皆様なら、当然、既に観賞済みだろう(笑)
 しかしこの記事の真意は、観賞済みの方にもう1回観賞して欲しいと言う願いを込めている。1回では分からない細かな点が、2回目の観賞で何か気付くかもしれないし、新しい発見があるかもしれない。

 変化を求めたいのなら、“字幕版”の観賞がオススメだ。
 実は私も2回目は字幕版を鑑賞しており、ポケモンの声がそのまま文字で書き起こされたり、モブキャラの聞きにくい会話も しっかり記されているなど、案外楽しめる。


 映画はまだまだ公開されている。
 皆様、この夏のポケモン映画、時間があったらもう1回、いかがですか?